週刊サイクルで12万部超を戸別配布するって大変じゃないですか? |
村上;そうですね。今は「マ・シェリレディ」という組織が確立されていますが、創刊にあたってはまず、この宅配スタッフの組織化から始めました。 |
1日で配布できるんですか? |
村上;はい。だいたい400名くらいの「マ・シェリレディ」が稼働しています。配布エリアは盛岡市を中心にその周辺エリアなんですが、だいたい一人当たり300から500部を受け持ってくれています。ほぼ全員が主婦の方ですが、本誌のことをよく理解してくれており、お顔の見られる読者でもあるんですね。それと毎年1回12月にマ・シェリレディの集いというイベントを開催しています。みなさんに集まってもらうんです。そこでお渡しするためのマ・シェリ「特別版」も作ります。 |
編集のスタッフは? |
村上;専属スタッフが5名。フリーのライターさん、イラストレーターさん、カメラマンさんで何人かって言うと、そう「飲み会」をすると30名くらいになりますね。ライターさんの9割は女性ですね。他に営業スタッフが6名います。 |
広告の売り上げはいかがですか? |
村上;ご他聞に漏れず、楽とは言えませんがご掲載いただいたクライアントさんからは「反応が良い」という評判をいただいています。特に飲食関連は突出しています。 |
親会社の岩手めんこいテレビとのタイアップ企画などは? |
村上;グループ会社なので、それぞれの特性を生かしたメディアミックス企画は時折やっていますが、クライアントさんの理解をいただくのはなかなかむずかしいですね。 |
ご自身は活字の方が強いとお考えですね。 |
村上;電波と紙では性格がまったく違いますが、活字媒体は決してなくならないと思います。ウェッブも新しい形の活字媒体といえるのではないでしょうか。 |
さて、村上さんご自身のことを少し伺いたいのですが、村上さんは創刊時から編集長でいらしたんですか? |
村上;いえ、私は2代目です。初代編集長は今の代表取締役です。私が編集長に就任して5年目です。 |
マ・シェリ以前は何をされていたんですか? |
村上;同じようなことを東京で10年程やっていました。大学が東京でしたからそのまま東京で就職したって感じですね。月刊誌を3年ほど、それからフリーのライター。当時はバブルの終焉期で、仕事も多くかなり忙しかったですね。あー働いたって感じで盛岡に戻ってきたのがマ・シェリ創刊の1年半くらい前です。 |
マ・シェリとはどういうご縁で? |
村上;盛岡でフリーライターをしていたときに声をかけてもらい、新しいものを作るのはおもしろいかなと軽い気持ちで関わったら、あっという間に10年たってしまいました。 |
創刊時の想い出は? |
村上;それはキリがない話になりそうです。創刊時に決まっていたことが週1で出すこととマックで作ると言うことくらいで、配布のことも含めて全部一から作りました。当時この辺りではDTPはまだ珍しかったですね。 |
東京から戻ってこられて始めた仕事、或いは盛岡はいかがでしたか? |
村上;盛岡は変わっていなかったのが嬉しかったです。中津川、北上川や開運橋。地元の良さみたいなものを改めてというか初めて実感しました。地元を深く掘り下げていく仕事ですから例えば中津川の橋物語といった企画を通して、たくさんのことを学びました。再発見になるんですかね? |
読者の反応も楽しみですね。 |
村上;地元の人はもちろんですが、ご主人の転勤でこちらに住んでおられる主婦の方が結構いらっしゃるので彼女達にとっての情報源になっているかも知れませんね。バスツアーなどを企画するとこうした主婦やお年寄りが多く参加されて、みなさんお友達を作っていくみたいな交流もあるようです。 県大ができてから若い子たちが自主製作映画を撮ったり、自分たちで盛岡を何とかしようという動きが出てきました。私たちはこうした「地域の話題」を丁寧に伝えていきたいです。今年はマガジンタイプの「fleuve」も2回発行しました。マ・シェリのできることをもっともっと広げていきたいと考えています。 |