可愛い女の子の写真が多く載っている釧路DAISUKI。創刊しようと思ったきっかけや
創刊までのいきさつを教えてください。 |
緒方;地元タウン誌の出版社に入社して半年経った位から、自分でタウン誌を作りたいなぁーと思いました。でも実際には簡単じゃないぞ‥とも。97年頃、ストリートスナップ系のティーンズ雑誌「egg」をみておもしろいなぁー、これぞ渋谷のタウン誌だ!って。(当時は今のようなギャル系雑誌ではなく、男性向けだったのだそう)。その頃は自分の趣味で写真を撮ることなど皆無だったのですが、写真の幅を広げたいと友達と写真クラブを作りました。それを機関誌にして発表しようと思い、休日に街でストリートスナップを撮りました。見知らぬ人に声をかけて写真を撮影させてもらいました。モデルの女性から「雑誌ができるのを楽しみにしています。頑張ってね!」の言葉に励まされたのですが、結局はそこで終わってしまいました。そんな思いもありながら出版社に約12年勤務。3ヶ月に1回位なら1人でも情報誌を作れるのではないかなぁ…と思い、2000年に「釧路大好き」を創刊させました。運営資金「0」、人との「信頼」「絆」だけが頼りののスタートだったので発行するまでは内臓がひっくりかえるような思いをしたし、卒倒したこともありました。 |
2人だけで全てやっていると聞きましたが、編集部内の雰囲気はどんな感じですか? |
緒方;僕と新津君の実質2人で営業から制作まで全てこなしています。普段はお互い無口でほとんどしゃべらずに仕事しているのですが、セクシー系の企画などの話になると一気に盛り上がるんです。(笑)まぁ、実際にそういった企画をやった試しはないんですが…。 |
創刊してからお二人で雑誌を作られてどのようなことがありましたか? |
緒方;まず創刊準備の時は、釧路DAISUKIの見本誌を作って書店や飲食店、美容室などを廻って営業しました。2号目から「メニューコレクション」のページを作り、飲食店を中心に廻りました、広告を断られた所には本を売ったりして…。広告は断っても340円位ならと雑誌を買ってくれるお店も結構あったんですよ。「100件廻ったら1件は契約に結びつく」という気持ちは、今思うと昔色々な仕事をやっていた経験が生かされていますね。そして、創刊3号目にはサンクス(釧路根室管内)に、6号目には根室のコンビニ、タイエー、15号目からはセイコーマート(釧路根室管内)に置かれるようになって販売の幅がかなり広がりました。(参考※セイコーマートは北海道全域にある大手コンビニ)。変わった事といえば、4号目位から一気に白髪が増えました。今だから話せるのですが、ちょうどその頃は廃刊寸前だったんです(苦笑)。あと、特に印象に残っているのは新津君が取材したミステリー特集の「クッシー」(屈斜路湖に生息するといわれている幻の生物)ですね。クッシーを見たという人はいるのですが、物的証拠にたどり着けず結局寒くて帰ってきました。車中泊を一週間もさせてしまいましたからね(笑) |
KUSHIRO DAISUKIは今後どのような形を目指していますか? |
緒方;現在は若い子が多く購読してくれていますが、少しずつ年齢層を上げていきたいなぁと思っています。子供がいる女性や主婦の方にも見ていただけるような情報を載せて主婦層の方々にも読んでもらいたいですね。 |
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≪編集長略歴≫ 1959年釧路市生まれ。GSスタッフ、タクシー運転手、トラックドライバーなど様々な仕事(職歴30種、東京、大阪で働いていたことも)を経て1989年にタウン情報誌を発行している出版社に入社。約12年勤務して、2000年6月に釧路大好きを創刊させた。新津さんと二人三脚で現在、創刊5年目に突入。フリーカメラマンという側面ももっている。若い女性のポートレートには定評あり。 |